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私に起きた奇跡について
書かせて貰います。


皆に聞いて貰って
初心を忘れないで欲しい。


今をきっちり見つめ目の前の人達と
向き合って生きて欲しいな。


去年のお話。


2012年、2月17日。
37週と4日。
帝王切開で
長男愛樹〔あいき〕
が産まれました。
元気に産声を上げて
いました。
産まれてくれてありがとうと
涙が溢れました。


それから部屋に戻るまで
嬉し過ぎて涙が止まらなかった。
ですが、帝王切開の手術から
部屋に帰るとそこには子供がいません。


先生はいるって言ったのに。
いつになっても来ないので
看護師さんに聞くと…


今保育器に入っています。
また先生が説明に来るので待っててね!


待っていると先生がやってきました。


この病院では手に終えません。


産まれたばかりなのに。
元気に泣いていたのに…
涙が止まらなかった。


重度の新生児一過性多呼吸症候群。


普通は産道を通る時に
赤ちゃんはお母さんのお腹の中で
飲み込んだ羊水を吐き出しながら
出てきます。
帝王切開ではそれがない為、
多くの赤ちゃんが肺に羊水が
たまったまま出てきます。
呼吸がしにくく、
酸素がないといけません。


愛樹はこの一過性多呼吸症候群の
中でも重度でした。
酸素の保育器の中にいれましたが、
二酸化炭素も吐き出せて
いなかったようで、
病院には二酸化炭素を
吐き出させる機械が
おいていませんでした。


このままでは死にます。と
宣言されました。


近くの大きい病院に
機械があるというのですぐに
救急車で搬送されました。
一目みただけで、
抱っこもできず、
触れられずでした。


ただ、生きて欲しい!
死なないで!と
涙が止まらず、毎日腫れた顔でした。


そこから10日間NICUにはいり、
私が入院していた病院に
呼吸が安定し戻ってきました。


半日、一緒にいたら今度は
黄疸だ!保育器だ!
と連れていかれました。


そこから何度か黄疸入院で
連れていかれ、
最初の一ヶ月くらいで、
私が愛樹といれたのは
10日間もありませんでした。


一ヶ月をすぎ、
少し落ち着いて
やっと家でゆっくり過ごしました。


迎えてくれる皆の笑顔。
可愛い顔。
一緒にいられなかった分、
一緒にいられるだけで幸せでした。


この子を一生守ろう!
絶対に何があっても
守るんだと思いました。


ですが、暫くたつと、
ぐずりがひどく1時間置きに授乳。
ミルクを上げて寝ても、
1時間するとぐずる。


乳児湿疹もでて、
顔は湿疹だらけで汁までたれて
体にまで広がっていました。


体重もミルクを足しても
思う様に増えず
一ヶ月健診で3キロ。
二ヶ月を過ぎても4.2キロ。


病院では異常がないのでと言われ…


とりあえず、家事をしながら、
新しい生活をしながら必死でした。


まだ小さい愛樹を連れて
なれない手続きに走り回って
お祝い返しに地元を回り…


旦那もその時慣れない会社に
体調不良を訴えていて、
説得して送り出し…


くまができ、めばちこが出来て、
私の顔は酷かった。
夜も昼も寝れない。


子供も湿疹が痛そうで心配で…


旦那は泣き声がうるさくて
寝れないといい、
ストレス発散だといい、
夜中に遊びにいき


1人で夜泣きと戦っていました。


でも昔から子供は大好きでした。
保育士になりたかったくらい。


毎日毎日昼間に
愛樹が笑ったとか怒ったと
1人で私は一喜一憂していました。


ですが、やはり思う様に
事が進まないと、
どうしても腹が立ち、
なんでこんなに泣くんだと
私が泣いた事も沢山ありました。


忙しい生活の中で
産まれた時に


ただ生きていてくれたらいい


と思った事など忘れて
しまっていました。


ただ、毎日身の回りの事に
向かいあうのに精一杯で。


そのうち出来るからと、
いろんな事を後回しにしていました。


二ヶ月半がたった時。
少し寝る様になって
2時間、3時間は寝てくれていました。


2012年5月5日。


その日は朝から遅くなったけど
愛樹が元気になったので
宮参りに行く予定でした。
こどもの日でした。
私は夜中に片付けを済ませ、
布団にはいりました。


横でぐずっている愛樹。
ぐずりながらも眠っていました。


泣くまで少しでも寝たくて。
私は目をつむりました。


朝、アラームで目が覚めました。
あの時から、泣いていませんでした。
お乳を上げてから
7時間たっていました。


急いで抱き上げたその身体は
氷の様に冷たかった。
夜中なでた背中は暖かかったのに。


一生懸命名前を呼び叫びました。
身体をさすり、
起きてくれと。


たった3時間寝ただけなのに。


起きていれば良かったと後悔しました。


救急車で運ばれ、
病院で先生達が1時間も
心臓マッサージをしてくれました。
でも戻ってきませんでした。


沢山笑うようになっていた愛樹。
なかなか増えなかった体重が
やっと少しでも増えてきた所でした。


突然死でした。
顔が笑っていました。
心臓がきっとゆっくり
止まったんでしょう。
とお医者さんが言いました。


ちょうど、私が寝てから
少し後くらいに亡くなった様です。


看護師さんが
お母さんに休んでねって
言いたかったのかな。
目の前では辛い思い
させるのが嫌だったのかな。
親孝行な息子さんだね。
と言ってくれました。


なんで、


生きてくれているだけでいい。
障害があろうが、
何があろうが
この先このこを守る!と誓った
愛樹が産まれたあの日の事を
忘れていたのか。


どうして、イライラする時もあり
落ち着いて愛樹に向き合って
あげられる時間が無いときも
あったのかと後悔しました。


私が授乳の時、
夜中まで遊んで帰らない
旦那に寂しくてないていると
必ず見下ろすと笑ってくれていました。
私の涙がかかった
ずぶ濡れの顔で
ニコニコ笑うんです。


亡くなってから
気付いても遅い事は沢山。


でも亡くなったから
気付かされた事も沢山。


産まれてすぐ死ぬと言われ、
それでも生きてくれた。
そこからも病院は大変だったけど
色々なことがあった分
沢山ママをさせてくれて、


沢山沢山ないて、ぐずった分
沢山抱っこさせてくれて


飲んでも飲んでもすぐお腹がすいて
何回も飲んだ分
沢山授乳させてくれた息子。


全てわかっていた様に、
凝縮してママをさせてくれた様な
感じでした。
大人びた顔に、
早く笑い、
声をあげて私を呼び、
沢山沢山幸せを貰いました。
なくなる時まで親孝行でした。
小さな小さな身体で
小さな小さな頭で
私を思い、笑って
私を思い、泣いてくれました。
感謝がつきません。


それと同時に大切な物を
一気になくして、
どうしていいのかわからなく
なりました。


それから何ヶ月かして、
また妊娠しました。


病院に行き、
予定日は5月19日です。
と言われました。
ですが帝王切開で
14日くらい早くなるので、
5月5日ですかねー!
と言われました。


涙が止まりませんでした。


愛樹の命日。


亡くなって一年後に
なんていう奇跡かと!
きっと生まれ変わりだ!
今度は大丈夫!
きっと違う子として、
もう一度亡くなった日から
やり直そうとして
また来てくれるんだ!
生きてくれる!
そう信じました。


ただ、お医者さんからは
厳しい言葉がありました。


その前に貴方が死ぬかもしれません。


帝王切開をしてから、
時間が立たずの妊娠で
子宮破裂のおそれがある。


その時子宮の壁は
手術後の傷口が4mm。
通常は1から2㎝あるものだそうです。
かなり危険です。
破裂すれば母子ともに即死です。
本当は、産むのはオススメしないのですが…
下ろすとしても子宮の中を、
医療器具でかき出すので
下ろす時に傷口に医療器具が
刺されば大量出血し、
母子ともに即死の可能性が高いです。


と言われました。


死ぬ確率は半分半分。


その上、上の子を調べてないので
わかりませんが上の子が
遺伝子異常での突然死ならば
次の子も同じ様にお腹の中か
産まれてからか
いつか亡くなるかもしれません。


残酷な話でした。
でもこの子に生きて欲しい。
命をかけても
守ろうと誓いました。
お兄ちゃんがきっと守ってくれる!
そう、思いました。
なんだかあったかい風が吹きました。


絶対安静になり、薬を飲んで
耐えていましたが、
ハリが酷くなり入院。
点滴を受けながら副作用と戦い、
4月末に無事帝王切開で出産。


36週で早かったのですが
緊急手術。
なのに、2858gと大きく
傷口から出ず…
先生達三人でお腹の上に
のって押されて、
吸引機で吸われながら
出てきました。


次男 が誕生。


愛樹と同じ新生児一過性多呼吸
でしたが、軽度だったので2日で
保育器から出られた様で
3日めには私の部屋に
やってきました。


授乳で起きるたびに、
生きてくれてありがとうと思います。


前は泣かれると頭が痛くて
イライラしていましたが、
今は落ち着いて


はいよー!どうしたのー!


と声をかけられる自分がいます。
一年前のあのイライラが
嘘の様に泣かれても
笑顔で対応出来ている
自分に進歩を感じました。


そういられるのは愛樹が教えてくれた
気持ちが沢山あるからだと思います。


でもやはり、夜中でも昼間でも、
死と隣り合わせだと思うと
怖くてたまりません。


息をしているか?
あったかいか?
ついつい確認してしまいます。


いつかこの子が大きくなったら、
お兄ちゃんはママがないていたら
必ず笑ってくれたよ。
お兄ちゃんはとっても頭が良くて
ママにいろんな事を教えてくれたよ。


次男はお兄ちゃんからの
プレゼントなんだよ!
と教えてあげようと思います。


私達は子供を育てている様で
子供に育てられているんだ
と思います。


支えている様で
支えられているのかも。


本当に感謝が沢山あります。
いつか自分がお空で息子に会えた時、
沢山の感謝をしないといけません。
伝えたいありがとうがいっぱいです。


本当に本当に感謝しなければ
いけません。


次男も早く笑ってくれています。
生きてくれている今が幸せです。


出来るだけ長く、
一緒にいられる事だけを、
のぞみます。


亡くなったから悲しいのですが、
それだけではありません。


皆産まれたのには
理由があるのです。
何かを誰かに教える為、
何かを達成する為、
それぞれ気づく人も
気づかない人もいるけど
理由があると思うのです。


そして、その時、
なくなるのにも
理由があるのです。


それも、誰かに何かを
教える為だったり
するのかもしれない。


私は愛樹に逢いたいです。
今でも毎日、涙がでます。


当たり前に明日があると思っていた。
明日も一緒にいると
明日も生きていると思っていた。
そう思っていなかったら
もっと沢山してあげた事があった。


でも、よく考えたら人間なんて
皆いつ事故にあったり
病気になったりするか
わからないんです。


だから、きっと毎日が
当たり前じゃないんです。


毎日が特別なんです。
今しか出来ないこと、
いつか後悔しない様に
皆さんも精一杯向き合って下さい。


親にも、子供にも、ペットにも
友達にも。


そして大切な人達といられる
当たり前じゃないこのひと時を
大事にして欲しい。


それに気付いたら少し
幸せな気分になりませんか?

私に起きた奇跡について<br />書かせて貰います。<br /><br />皆に聞いて貰って<br />初心を忘れないで欲しい。<br /><br />今をきっちり見つめ目の前の人達と<br />向き合って生きて欲しいな。<br /><br />去年のお話。<br /><br />2012年、2月17日。<br />37週と4日。<br />帝王切開で<br />長男愛樹〔あいき〕<br />が産まれました。<br />元気に産声を上げて<br />いました。<br />産まれてくれてありがとうと<br />涙が溢れました。<br /><br />それから部屋に戻るまで<br />嬉し過ぎて涙が止まらなかった。<br />ですが、帝王切開の手術から<br />部屋に帰るとそこには子供がいません。<br /><br />先生はいるって言ったのに。<br />いつになっても来ないので<br />看護師さんに聞くと…<br /><br />今保育器に入っています。<br />また先生が説明に来るので待っててね!<br /><br />待っていると先生がやってきました。<br /><br />この病院では手に終えません。<br /><br />産まれたばかりなのに。<br />元気に泣いていたのに…<br />涙が止まらなかった。<br /><br />重度の新生児一過性多呼吸症候群。<br /><br />普通は産道を通る時に<br />赤ちゃんはお母さんのお腹の中で<br />飲み込んだ羊水を吐き出しながら<br />出てきます。<br />帝王切開ではそれがない為、<br />多くの赤ちゃんが肺に羊水が<br />たまったまま出てきます。<br />呼吸がしにくく、<br />酸素がないといけません。<br /><br />愛樹はこの一過性多呼吸症候群の<br />中でも重度でした。<br />酸素の保育器の中にいれましたが、<br />二酸化炭素も吐き出せて<br />いなかったようで、<br />病院には二酸化炭素を<br />吐き出させる機械が<br />おいていませんでした。<br /><br />このままでは死にます。と<br />宣言されました。<br /><br />近くの大きい病院に<br />機械があるというのですぐに<br />救急車で搬送されました。<br />一目みただけで、<br />抱っこもできず、<br />触れられずでした。<br /><br />ただ、生きて欲しい!<br />死なないで!と<br />涙が止まらず、毎日腫れた顔でした。<br /><br />そこから10日間NICUにはいり、<br />私が入院していた病院に<br />呼吸が安定し戻ってきました。<br /><br />半日、一緒にいたら今度は<br />黄疸だ!保育器だ!<br />と連れていかれました。<br /><br />そこから何度か黄疸入院で<br />連れていかれ、<br />最初の一ヶ月くらいで、<br />私が愛樹といれたのは<br />10日間もありませんでした。<br /><br />一ヶ月をすぎ、<br />少し落ち着いて<br />やっと家でゆっくり過ごしました。<br /><br />迎えてくれる皆の笑顔。<br />可愛い顔。<br />一緒にいられなかった分、<br />一緒にいられるだけで幸せでした。<br /><br />この子を一生守ろう!<br />絶対に何があっても<br />守るんだと思いました。<br /><br />ですが、暫くたつと、<br />ぐずりがひどく1時間置きに授乳。<br />ミルクを上げて寝ても、<br />1時間するとぐずる。<br /><br />乳児湿疹もでて、<br />顔は湿疹だらけで汁までたれて<br />体にまで広がっていました。<br /><br />体重もミルクを足しても<br />思う様に増えず<br />一ヶ月健診で3キロ。<br />二ヶ月を過ぎても4.2キロ。<br /><br />病院では異常がないのでと言われ…<br /><br />とりあえず、家事をしながら、<br />新しい生活をしながら必死でした。<br /><br />まだ小さい愛樹を連れて<br />なれない手続きに走り回って<br />お祝い返しに地元を回り…<br /><br />旦那もその時慣れない会社に<br />体調不良を訴えていて、<br />説得して送り出し…<br /><br />くまができ、めばちこが出来て、<br />私の顔は酷かった。<br />夜も昼も寝れない。<br /><br />子供も湿疹が痛そうで心配で…<br /><br />旦那は泣き声がうるさくて<br />寝れないといい、<br />ストレス発散だといい、<br />夜中に遊びにいき<br /><br />1人で夜泣きと戦っていました。<br /><br />でも昔から子供は大好きでした。<br />保育士になりたかったくらい。<br /><br />毎日毎日昼間に<br />愛樹が笑ったとか怒ったと<br />1人で私は一喜一憂していました。<br /><br />ですが、やはり思う様に<br />事が進まないと、<br />どうしても腹が立ち、<br />なんでこんなに泣くんだと<br />私が泣いた事も沢山ありました。<br /><br />忙しい生活の中で<br />産まれた時に<br /><br />ただ生きていてくれたらいい<br /><br />と思った事など忘れて<br />しまっていました。<br /><br />ただ、毎日身の回りの事に<br />向かいあうのに精一杯で。<br /><br />そのうち出来るからと、<br />いろんな事を後回しにしていました。<br /><br />二ヶ月半がたった時。<br />少し寝る様になって<br />2時間、3時間は寝てくれていました。<br /><br />2012年5月5日。<br /><br />その日は朝から遅くなったけど<br />愛樹が元気になったので<br />宮参りに行く予定でした。<br />こどもの日でした。<br />私は夜中に片付けを済ませ、<br />布団にはいりました。<br /><br />横でぐずっている愛樹。<br />ぐずりながらも眠っていました。<br /><br />泣くまで少しでも寝たくて。<br />私は目をつむりました。<br /><br />朝、アラームで目が覚めました。<br />あの時から、泣いていませんでした。<br />お乳を上げてから<br />7時間たっていました。<br /><br />急いで抱き上げたその身体は<br />氷の様に冷たかった。<br />夜中なでた背中は暖かかったのに。<br /><br />一生懸命名前を呼び叫びました。<br />身体をさすり、<br />起きてくれと。<br /><br />たった3時間寝ただけなのに。<br /><br />起きていれば良かったと後悔しました。<br /><br />救急車で運ばれ、<br />病院で先生達が1時間も<br />心臓マッサージをしてくれました。<br />でも戻ってきませんでした。<br /><br />沢山笑うようになっていた愛樹。<br />なかなか増えなかった体重が<br />やっと少しでも増えてきた所でした。<br /><br />突然死でした。<br />顔が笑っていました。<br />心臓がきっとゆっくり<br />止まったんでしょう。<br />とお医者さんが言いました。<br /><br />ちょうど、私が寝てから<br />少し後くらいに亡くなった様です。<br /><br />看護師さんが<br />お母さんに休んでねって<br />言いたかったのかな。<br />目の前では辛い思い<br />させるのが嫌だったのかな。<br />親孝行な息子さんだね。<br />と言ってくれました。<br /><br />なんで、<br /><br />生きてくれているだけでいい。<br />障害があろうが、<br />何があろうが<br />この先このこを守る!と誓った<br />愛樹が産まれたあの日の事を<br />忘れていたのか。<br /><br />どうして、イライラする時もあり<br />落ち着いて愛樹に向き合って<br />あげられる時間が無いときも<br />あったのかと後悔しました。<br /><br />私が授乳の時、<br />夜中まで遊んで帰らない<br />旦那に寂しくてないていると<br />必ず見下ろすと笑ってくれていました。<br />私の涙がかかった<br />ずぶ濡れの顔で<br />ニコニコ笑うんです。<br /><br />亡くなってから<br />気付いても遅い事は沢山。<br /><br />でも亡くなったから<br />気付かされた事も沢山。<br /><br />産まれてすぐ死ぬと言われ、<br />それでも生きてくれた。<br />そこからも病院は大変だったけど<br />色々なことがあった分<br />沢山ママをさせてくれて、<br /><br />沢山沢山ないて、ぐずった分<br />沢山抱っこさせてくれて<br /><br />飲んでも飲んでもすぐお腹がすいて<br />何回も飲んだ分<br />沢山授乳させてくれた息子。<br /><br />全てわかっていた様に、<br />凝縮してママをさせてくれた様な<br />感じでした。<br />大人びた顔に、<br />早く笑い、<br />声をあげて私を呼び、<br />沢山沢山幸せを貰いました。<br />なくなる時まで親孝行でした。<br />小さな小さな身体で<br />小さな小さな頭で<br />私を思い、笑って<br />私を思い、泣いてくれました。<br />感謝がつきません。<br /><br />それと同時に大切な物を<br />一気になくして、<br />どうしていいのかわからなく<br />なりました。<br /><br />それから何ヶ月かして、<br />また妊娠しました。<br /><br />病院に行き、<br />予定日は5月19日です。<br />と言われました。<br />ですが帝王切開で<br />14日くらい早くなるので、<br />5月5日ですかねー!<br />と言われました。<br /><br />涙が止まりませんでした。<br /><br />愛樹の命日。<br /><br />亡くなって一年後に<br />なんていう奇跡かと!<br />きっと生まれ変わりだ!<br />今度は大丈夫!<br />きっと違う子として、<br />もう一度亡くなった日から<br />やり直そうとして<br />また来てくれるんだ!<br />生きてくれる!<br />そう信じました。<br /><br />ただ、お医者さんからは<br />厳しい言葉がありました。<br /><br />その前に貴方が死ぬかもしれません。<br /><br />帝王切開をしてから、<br />時間が立たずの妊娠で<br />子宮破裂のおそれがある。<br /><br />その時子宮の壁は<br />手術後の傷口が4mm。<br />通常は1から2㎝あるものだそうです。<br />かなり危険です。<br />破裂すれば母子ともに即死です。<br />本当は、産むのはオススメしないのですが…<br />下ろすとしても子宮の中を、<br />医療器具でかき出すので<br />下ろす時に傷口に医療器具が<br />刺されば大量出血し、<br />母子ともに即死の可能性が高いです。<br /><br />と言われました。<br /><br />死ぬ確率は半分半分。<br /><br />その上、上の子を調べてないので<br />わかりませんが上の子が<br />遺伝子異常での突然死ならば<br />次の子も同じ様にお腹の中か<br />産まれてからか<br />いつか亡くなるかもしれません。<br /><br />残酷な話でした。<br />でもこの子に生きて欲しい。<br />命をかけても<br />守ろうと誓いました。<br />お兄ちゃんがきっと守ってくれる!<br />そう、思いました。<br />なんだかあったかい風が吹きました。<br /><br />絶対安静になり、薬を飲んで<br />耐えていましたが、<br />ハリが酷くなり入院。<br />点滴を受けながら副作用と戦い、<br />4月末に無事帝王切開で出産。<br /><br />36週で早かったのですが<br />緊急手術。<br />なのに、2858gと大きく<br />傷口から出ず…<br />先生達三人でお腹の上に<br />のって押されて、<br />吸引機で吸われながら<br />出てきました。<br /><br />次男 が誕生。<br /><br />愛樹と同じ新生児一過性多呼吸<br />でしたが、軽度だったので2日で<br />保育器から出られた様で<br />3日めには私の部屋に<br />やってきました。<br /><br />授乳で起きるたびに、<br />生きてくれてありがとうと思います。<br /><br />前は泣かれると頭が痛くて<br />イライラしていましたが、<br />今は落ち着いて<br /><br />はいよー!どうしたのー!<br /><br />と声をかけられる自分がいます。<br />一年前のあのイライラが<br />嘘の様に泣かれても<br />笑顔で対応出来ている<br />自分に進歩を感じました。<br /><br />そういられるのは愛樹が教えてくれた<br />気持ちが沢山あるからだと思います。<br /><br />でもやはり、夜中でも昼間でも、<br />死と隣り合わせだと思うと<br />怖くてたまりません。<br /><br />息をしているか?<br />あったかいか?<br />ついつい確認してしまいます。<br /><br />いつかこの子が大きくなったら、<br />お兄ちゃんはママがないていたら<br />必ず笑ってくれたよ。<br />お兄ちゃんはとっても頭が良くて<br />ママにいろんな事を教えてくれたよ。<br /><br />次男はお兄ちゃんからの<br />プレゼントなんだよ!<br />と教えてあげようと思います。<br /><br />私達は子供を育てている様で<br />子供に育てられているんだ<br />と思います。<br /><br />支えている様で<br />支えられているのかも。<br /><br />本当に感謝が沢山あります。<br />いつか自分がお空で息子に会えた時、<br />沢山の感謝をしないといけません。<br />伝えたいありがとうがいっぱいです。<br /><br />本当に本当に感謝しなければ<br />いけません。<br /><br />次男も早く笑ってくれています。<br />生きてくれている今が幸せです。<br /><br />出来るだけ長く、<br />一緒にいられる事だけを、<br />のぞみます。<br /><br />亡くなったから悲しいのですが、<br />それだけではありません。<br /><br />皆産まれたのには<br />理由があるのです。<br />何かを誰かに教える為、<br />何かを達成する為、<br />それぞれ気づく人も<br />気づかない人もいるけど<br />理由があると思うのです。<br /><br />そして、その時、<br />なくなるのにも<br />理由があるのです。<br /><br />それも、誰かに何かを<br />教える為だったり<br />するのかもしれない。<br /><br />私は愛樹に逢いたいです。<br />今でも毎日、涙がでます。<br /><br />当たり前に明日があると思っていた。<br />明日も一緒にいると<br />明日も生きていると思っていた。<br />そう思っていなかったら<br />もっと沢山してあげた事があった。<br /><br />でも、よく考えたら人間なんて<br />皆いつ事故にあったり<br />病気になったりするか<br />わからないんです。<br /><br />だから、きっと毎日が<br />当たり前じゃないんです。<br /><br />毎日が特別なんです。<br />今しか出来ないこと、<br />いつか後悔しない様に<br />皆さんも精一杯向き合って下さい。<br /><br />親にも、子供にも、ペットにも<br />友達にも。<br /><br />そして大切な人達といられる<br />当たり前じゃないこのひと時を<br />大事にして欲しい。<br /><br />それに気付いたら少し<br />幸せな気分になりませんか?


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